2005/7/15 (金)
100年
 
 
 「百年前に建った家だと安心して買えます。百年もったのだから、これからも大丈夫だろうと思って・・・」。この春、イギリスで会った主婦のことばである。さらに「新築だと何か不安な気がする」というのである。

(中略)

 こんなことでいいのだろうかと、社内の若い建築家諸君とは良く話をする。建ててはすぐに壊すという住宅を前提にしていては、美しい町並みとか豊かな住文化などつくれるわけがない。すぐに百年住宅は無理にしても「今の倍の六十年はもつ住宅をつくってほしい」と頼んでいる。

日本経済新聞2005年7月15日夕刊一面 あすへの話題より
積水化学工業社長 大久保 尚武氏 


 住宅の耐久年数というのは、気候や地震の有無も関係しているので、一概には言えないのですが、日本の住宅が30年経ったら、建物の価値なくなり、翻ってヨーロッパの住宅が100年は立派に建っているというのは、日本人にとっては随分と悲しい話です。

 住宅だけでなく、建物、自動車、楽器に至るまで、ヨーロッパは古いものを大事に使っています。考え方の差もあるかも知れません。日本人は新品を好む傾向があるかも知れません。ピアノを買うときにまで、「新しいものを買ったのに、なんで展示品をよこすのか?これでは現品限りではないか!」と怒り出した人までいるとかいないとか・・・。ピアノの善し悪しなんて、弾いてみないとわからないですから、逆に展示品で弾ける状態のものを弾いてから買わないと、本来は困るはずなんですが・・・。

 ちなみに、ピアノは私が知る限り、20年以上経ったものが良いと言われています。でも、100年を越えるとちょっと厳しいようです。ヴァイオリンですと基本的に古ければ古いほど良いようです。以前はそれでも限界があると言われていましたが、最近はメンテナンスかなにか、オーバーホールのようなことをやれば、その限界も超えられるとか・・・。これは誰かヴァイオリニストが言っていました。

 私のハンガリーの家にもとからあったベーゼンドルファーはなんと18世紀末に作られたものであるらしく、そうなると彼(いや彼女?)は恐らく110歳かそこらだったでしょう。このピアノは流石にガタがきていまして、調律師に頼んだのですが、あまり良くはなりませんでした。でも、響板(という重要な板があります)にヒビが入っていることもなく、アクション(鍵盤の押下してハンマーが弦をヒットするまでの一連の機構)をオーバーホールすれば、きっとある程度は快復したに違いありません。ハンガリーは、田舎の調律師さんが空いた時間に古いピアノをコツコツとオーバーホールしてくれているような、そんな国です。

 閑話休題。セキスイハウスというと、工場で大量生産して、ローコストで住宅をあっと言う間に建ててしまうというイメージがあったので、上の記事を読んだときは、少し意外でした。新聞に載る記事ですから、ある程度「社内の取り組みを広くアピールする→宣伝になる」という意図もあるかも知れません。でも、住宅建設の大手の会社がこのようなことを考えているというのは嬉しいですね。なんてたって、30年もっていた住宅が60年もってしまったら、彼らの30年後の仕事が減るわけですから。それでも100年住宅を目指してくれるのは、ユーザサイドに立っているというか、ニーズを汲んでくれていると思います。

 また、「豊かな住文化」にまで踏み込んでいることが更に「いいなぁ・・・」と思いました。今の家並みはてんでバラバラ。やっぱり、これは30年しか住宅がもたないということと関係しているのでしょうか?この関連性は良くは分かりませんが、なんとなく「長く住むのだから、しっかりたてて、周囲との調和もとって・・・」とそう解釈しています。

 さて、家なんて雨風しのげて住めれば良い、という向きもあるとは思います。でも町並みが美しいっていうのは、その街に住んでいる人にも、他所から来た人にとても本当に嬉しいものです。

 最近、「癒し癒し・・・」ってかまびすしいですが・・・、

戦後の混乱から復興せねば
 ↓ 
機能優先&ローコスト
 ↓ 
無駄な部分(例えば街全体の景観とか)はひとまず無視
 ↓ 
モノは増えたんだけど、なんだか満たされない社会

なんていう図式が思い浮かびました。そして、満たされない部分を、「癒しのマッサージ」とか「癒しの音楽」とかに求めているんじゃないでしょうか。だとしたら、これは単なる「対処療法」なのではないでしょうか。

 日本も江戸時代、のんびりしていた時には、この一見無駄な部分にも、もっと注意を払っていたのではという気がします。水路をのんびり船で移動していたくらいですから。江戸っ子がいくらせっかちだっていっても、朝食を会社(当時だと奉行所?)で食べたりしなかったでしょう。でも、黒船来航以来、そういうことに構っていられなくなったのも確かで、そこから国自体が色々な意味で(まぁ、一応)強くなったことは世界的にみても凄いことだと思うし、あれを成し遂げたご先祖を尊敬します・・・。でも、今あらためて振り返ると、昔の日本が持っていて、今忘れてしまっているものがいっぱいあるのでは。

 江戸末期からの歴史を思い返すと、今は転換点のような気がしてならないのです。富国強兵は原爆投下で終わり、戦後の復興&高度経済成長はバブル崩壊で終わり、でもこの二つは根っこは実はそう変わらなくて、黒船来航以来、なんとか外国に負けないように負けないように頑張ってきた。だからこそ「今」があるのですが、その頑張りが今では少々空回りしているように思います。

 だから、例えば、街を美しくする競争でもしたらどうでしょうか。街は美しくした方が良いです。いや、これは本当に。美しい街に住むと、気分も上向きます。保証します。




 
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