| 2004/6/25 (金) 華氏911 | |
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マイケル・ムーアの「華氏911」が今日からアメリカで公開されました。アメリカではこの映画に関して国論を二分する状態になっているようです。映画としての価値云々というより、大統領選挙と絡めてほとんど政治的な争点になっているようです。 日本での公開予定は決まっているのでしょうか?ここ2年以上、映画館と呼ばれるところに足を踏み入れたことのない私ですが、日本で公開された際は見に行きたいと思っています。 アメリカ在住の映画評論家、町山智浩さんが早速この映画を見に行かれ、ダイナミックな文章でこの映画を語っています。興味がある方はこちらをご覧下さい。 先日、新聞にクローズアップ現代でおなじみの国谷裕子さんのインタビューが掲載されていました。そこに「怒りを忘れてはいけない、と父から言われた」という趣旨の一文が載っていました。確かに彼女の語り口はクールではあるものの、そこには「意志」が感じられます。イラク戦争が開戦したときは、明らかにブラウン管から「怒り」が感じられました。 ムーアもまさに怒れる人でしょう。「アホで間抜けなアメリカ人」というタイトルで本を書いていましたし、アメリカの現在の状況で常に戦争に反対する論陣を張って、精力的に活動するその姿は、少なくともこのヒステリックな状況に置いてはカリスマ的であるとさえ言えます。実際、彼は脅迫されたり命を狙われたりということもあるようですが、そんなことは意に返さないのでしょう。 ところで、「男は黙ってサッポロビール」という一昔前のコピーを引き合いに出すのが適当なのかどうかわかりませんが、あまり感情は表に出さずクールに振る舞うのが格好いいという価値観が確かにあります。 「問わず語らず」「阿吽の呼吸で」 果たしてこれでよいのか?と最近思うのです。言葉にするということは責任を伴う行為です。「言質を取る」と言いますが、言葉にしたことで一つの立場を表明したことになります。それを覆すには、「前言を翻した」というマイナスを背負うことになります。黙ってサッポロビールを飲むのは一つの「格好の良い図」なのかもしれませんが、それだけではなく、人と何も議論せず、問わず語らずでやり過ごしていくことは、実はお互い責任を負わないで曖昧なままに事を進めていくための、社会的な仕組みなのではないかとも思えるのです。 人間関係において「人間怒ったらおしまいだ」とも確かに言えますが、クールで当たり障りのない人間関係が社会全体となり、それが無責任な社会的な意志になって、そこから遠く離れたところで、コンピュータのキーボードを叩いて発射されるミサイルが、更に遠いところにいる貧乏な子供の頭を打ち抜くという図は、はっきり間違っていると言えます。 まだこの映画は見ていませんが、ムーアが怒っているとするなら、その怒りは理解できますし、怒るべきだし、それはとても自然なことだと思うのです。 | |