| 2004/3/25 (木) 一段落 | |
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最近、毎週のように入っていたミラマーレでのコンサートが今日で一段落つきました。疲れました。今日はいつものヴァイオリンとのデュオとシャンソンの伴奏とが同時にあったので丸々一時間弾きまして、本番もさることながら、もう練習するのも大変。最近どんどん練習が追いつかなくなって、クオリティーが下がるという結果になり・・・、いやぁ、これではいけませんね。ただ、限られた時間の中でいかに仕上げていくのか、ということや、練習するときに「何を練習しているのか」・・・つまり「曲が何を言おうとしているか理解する」「頭に音符をインプットしていく」「指が動くように訓練する(・・・これが大きいと思ってしまいがちですが、実は前の二つのほうが重要)」といったことを、考えられたのは収穫でしょうか。 次は一ヶ月後ですが、全てソロで弾きますし、とても楽しみです。 さて、これで少し時間ができたのですが、やっとオーケストラ曲の作曲に取りかかろうと思います。また、次のアルバム用のオリジナル曲も書いていきます。ピティナの新曲課題曲の実音審査もあり弾きにいきます。休む暇ないです。 | |
| 2004/3/3 (水) 微分音とピアノ | |
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十二音技法という作曲技法があります。ドからシまでの12の音を対等に扱って作曲をするという技法です。音を対等に扱おうとする為、特定の音符が「特別な音」になることを避けなければなりません。つまり「C→G7→C」などというコード進行を使うことや、それを暗示することは絶対に避けます。 ブーレーズの「主なき槌」という現代音楽の古典的な曲があるのですが、このスコアを読むと、音符の動きが「ド→ファ#」「ド→シ」など、意図的に音を濁らせる(これは誤解を招く言い方ですが・・・)ように仕向けられており、一般的な調和を持たせないように、作られています。もちろん「C→G7→C」のようなコード進行など一切ありません。 意図的に「(古典的な意味での)調和を壊す」ことをやっているわけですが、そうなってくると「わざわざ12音という平均率にこだわる必要はあるのか?」という疑問が生まれます。8度、5度、4度といった音程は特殊ですが、それ以外の微妙な音程というのは別に12音に限定しなくても良いわけで、例えば「ド→シ」といくところを「ド→シとシ♭」の間へ行っても良いわけです。それだけ色々な可能性が増えてきます。 そのようなピアノの鍵盤からは出てこない微妙な音程を一般的に微分音程と言います。弦楽器やトロンボーンなどの楽器はこういった音は比較的出しやすいのですが、ピアノなどでは難しいです。一台のピアノでそれをやることは出来ません。まぁ、調律を変えてしまえば良いわけですが、それは「平均率ではない特殊な調律を施したピアノ」ということになるでしょう。そもそもピアノはドからシまでの12の鍵盤しかないわけですから、「シとシ♭の間の音」を出そうと思っても、鍵盤がないわけです。微分音程と普通の音程を使い分けようとすると、二台以上のピアノが必要になって、キースエマーソンのように、華麗に(!?)弾くことが求められます。 さて、仮に楽器が微分音を容易に出せたとしても、奏者がその微分音程に慣れ親しんで要求するとおりに出せるかどうか難しいところですし、そもそも作曲する人間が微分音程を通常の音程と同様に細心の注意を持って理解して音符を書けるのか、というもっと根本的な問題もあります! とはいっても、インドネシアのガムランは村ごとに楽器の音程が違っていて、それぞれが、微妙な音程にチューニングされているわけですし、中東やインドの音楽は微分音程は普通に使われているらしいです。ブルースで必ず使われるブルーノートという音程は「ミとミ♭」の間の音程で、この音がブルースの「泣き」の音です。決して特殊なことではないのです。 西洋音楽というのは音程というものを限定的にすることによって、その分、動機や構造を発展させていったと言えるかも知れません。平均率で音の数も限定されているピアノはその典型かもしれません。ピアノはその楽器の性能によりミクロコスモス(小宇宙)と呼ばれてもいます。それだけ素晴らしい楽器なのは間違いがないのですが、こうやって微分音程まで領域を広げようとしたとき、とたんに不自由な楽器にもなってしまいます。 | |
| 2004/3/2 (火) たべもの | |
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鳥インフルエンザが話題になっています。関西を中心にインフルエンザに罹った鳥の鳥肉や卵が出荷されていたようで、出荷された範囲は随分広いようです。牛はBSEで、鳥はインフルエンザ。安心して食べられる肉がどんどんなくなってきています。長い期間人体に蓄積されると問題が起こる、例えばダイオキシンとかそういったものもまで含めると、安心して食べられる食物はないといってもいいのかも知れません。実に恐ろしい話です。 「食べ物は近くで作られたものがよい」という考え方は、色々な意味を持っていると思いますが、「近くで作られたものは、どのように作っているかが確認することもできる」という意味もあるでしょう。自分で野菜を植えて、庭で鶏を飼うといった、自分で食物を管理できるのが理想の状態なのでしょう。都会では難しいでしょうが、田舎では現実にこのようにしています。 大量生産をして効率をよく食物を生産するといった考え方・・・工業製品のように動物を飼育(生産)して、殺す(出荷)、つまり、動物 X (餌+時間) = 肉 といった式ばかりで考えるのも、限界にきているのかもしれません。しかし、その恩恵は受けているのは事実なので、否定は出来ないのですが・・・。 | |
| 2004/3/1 (月) 雪 | |
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春らしい陽気になった・・・と思っていました。もう3月だし、庭には梅の花が咲いているし、灯油も今年はこれが最後かと思いつつ土曜日に一応買っておきました。残らなければ良いのだが・・・と思ったのですが、杞憂でした。 今日は朝起きたら雪が降っていて、この冬一番の雪(・・・といっても、大した積雪ではないのだが)になりました。梅の花のバックに雪が降っている図はなかなか不思議なものでした。 | |